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『職業としての科学』を読む(1)

2013年も残りひと月となりました。今年はここ10年内で世に出た本や記事から、今のサイエンスが直面しているトレンドを大づかみに捉えるよう心がけてきました。その一区切りに、佐藤文隆『職業としての科学』を紐解いてみたいと思います。

 

本書によれば、科学はいま、第二の転換期を迎えているといいます。今回は第一の転換を探りつつ、それが科学者にとってどんな意味を持つのか明らかにしたうえで、次回で第二の転換へお話しを進めたいと思います。

… 比較的明確なことは、19世紀末からの国民国家の興隆と「制度としての科学」とが密接に関連していることである。20世紀に100倍にも拡大したという科学の制度は、国民国家の仕組みを抜きには考えられない。
しかし、冷戦崩壊後の時代における、「われわれ」から「わたくし」への意識の変容は、従来の国民国家を危うくするものである。また生活様式の急速な変化で「わたくし」と公共の関係が希薄になり、知識の拡大・継承、進歩といった、近代の精神が奉じてきた価値観は魅力を失う可能性がある。それは「科学とは何か」といった理念から説き起こす問題ではなく、社会に寄り添って構想する想像力の課題である、というのが筆者の立場である。〔本書11ページ〕

第一の転換は、巨匠的な天才が引っ張るアートとしての科学から、職業人としての科学者集団が構成する「制度としての科学」への転換です。
この立場によると、制度の中に暮らす科学者は「研究対象に釘付けになって、周囲の人間にはアブセント・マインド(上の空)になる」どころか、「同業者の動向、業界の気配」いわゆる同僚評価(peer review)を気にするのが科学だといいます。19世紀以後に拡大を遂げ、20世紀には産業としての科学技術へと拡大しました。そこで、アメリカ合衆国に代表される市場主義(アカデミック・キャピタリズム)が強い推進力となったことは既にみました。

事実の営みと理論の発見に大別したとすると、事実は実在と直接つながっているが、理論は事実に関する「語り」であるから、ひと加工されている。極端にいうと、… 同業専門家の「市場」に晒されて評価と加工がなされ、ある方向が定まっていくのである。〔本書92ページ〕

国家との結びつきによる規模の拡大、同業者との関わりで決まる理論の構築、職業(profession)としての確立。これらは自ずと「その職業でどれだけが業績を上げ、また生活してゆけるのか」という問いを生みだします。筆者は後半で第二の転換期が生んださまざまな困難に目を向け、新たな方向性を提唱していきます。

先取りすると、哲学的な議論から政策論までが散りばめられ、一見すると話しが色々な方向に分散している、と感じる向きがあるかもしれません。目の着けどころ(問題意識の置き方)によって、見えてくるものが違うように思います。本レビューでは科学と国家の接点,および研究者の労働市場という関心から筆を執っています。一方、朝日新聞のレビュー(第1回)では、科学者の職業人像という理念の面にスポットを当て、著者が考える理想像に迫ろうとしているようです。

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