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あたらしい社会へ: 『現代社会の理論』を読む

大都市に居すわって、この本の主張にうなずきつつ読む成り行きは、どこか滑稽です。

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著者は東京大学から数多くのスター学者を輩出した「カリスマ社会学者」。その問いは「さまざまな社会経済システムの違いを超えて、もっとも幸せな社会とは何なのか」というシンプルなもの。マルクス派の哲学者を父にもつ影響からか、本書前半にある以下の一節が印象深く読めます。

古典的な資本制システムの矛盾… を、資本のシステム自体による需要の無限の自己創出という仕方で解決し、のりこえてしまう形式が、〈情報化 / 消費化社会〉にほかならなかった。 このようにして〈情報化 / 消費化社会〉は、初めて自己を完成した資本制システムである。自己の運動の自由を保証する空間としての市場自体を、自ら創出する資本主義。人間たちの欲望をつくりだす資本のシステム。…〔本書31ページ〕

生産-消費のサイクルにまつわるいろいろな問題――南北の資源収奪・都市の公害問題――を回顧しつつ、情報社会の分析へ進んでいきます。各論は省きますが、筆者はこれら問題の背景に「生産至上主義」の潮流が存在することを指摘し、それを解放する方向を「消費化」にみます。

「方法としての消費社会」という構想は、この離陸した需要の運動空間を、もういちど経済の外部のものに、〈人間の生きることの歓び〉という原義的なものの方に、着地させるというものである〔本書139ページ〕。

生産至上主義への批判、およびそれを脱する方向としては、他に「生産から生存へ」といった方向も提唱されています。また、家事労働や育児といったケア・再生産労働の側面に注目する方向もあります。これらもまた、人間の原義的(原初的: primitive)なものの方へ回帰する議論です。しかし同時に、生産に対応する「消費」を臆せず見据え、それを肯定する見方もまた、説得的でありうるのでしょう。 そして、ここで言う「消費されるもの」は、物質的資源に依存した生産物のみならず、資源の制約から解き放たれた情報でもあります。広告メディアから説くこの指摘は10余年後の今にも通じる卓見で、例えばソーシャルメディアやマッチングサイトの隆盛で、友情や愛という、一見有機的にみえる紐帯すら、情報に還元されて散在しています。産業化の行き着き安定期に入った社会で、「人は資源浪費的でない幸福を楽しんでおり、これはすてきな社会です」(著者インタビューより)。 見田氏のこの見解はあまりに楽観的すぎるように思えますし、情報に対する積極的な評価、例えば「美として」説くくだり〔本書162ページ〕にも、違和感をぬぐえません。ただその恩恵にどっぷり浴する自身の生活を顧みるとき「結局、便利で幸せなのに越したことはないよなぁ」と心の中で白旗が揚がります。 ところで、日本の大都市・東京に改めて目を向けるとき実感するのは、

「それでも世界で一番魅力的な都市」という形容が東京についていわれたことがあるが、現代の情報化 / 消費化社会のシステムは、それでも世界で一番魅力的なシステムである〔本書122ページ〕。

折しも2020年のオリンピック開催が東京に決まり、改めてこの大都市がもつ魅力が問われています。それは何でしょう。「世界一コンパクトなオリンピック」と掲げられたような利便性、あるいは世界中の観衆がもつ無限の欲望に応え、祝祭を彩る「オモテナシ」のシステムなのでしょうか。 ◎朝日新聞による著者インタビュー〔2011年6月17日〕 http://book.asahi.com/clip/TKY201106160336.html

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