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吉見俊哉『大学とは何か』を読む(1)

ブログの本格運用に際して,おそらく私にとっていま最も大事な問いから始めたいと思います。 いろいろなきっかけが重なり,私は大学出版部というところで仕事をしています。大学は大学出版部にとってクライアントであると同時に,プロデュースすべき文化資源でもあります。ビジネスに際しては相手をよく知る必要があるわけです。年がら年中考えているわけでもありませんが,ふとした時に「大学とは何か」と疑問が湧きます。

ところが実際は,大学のほうが,学生の頃も含めて出版業界よりも長く接しているはずなのに,実体を未だつかめずにいます。ただ書店の棚を眺めても「大学とは何か」をめぐる本が増えているのを見ると,そのぶん世の中の注目を集めているのかなと思います。それは理由なしに人々の注目を集めるわけではなく,産業システムにとっての役割が無視できない大きさに達しているからではないでしょうか。

今日の世界で,大学という制度の支配力は縮小するどころか圧倒的なものになっており,グローバルな知識生産体制の支配的部分をなしている。したがって我々は,大学の絶滅を心配する前にまず,グローバルな知識体制として爆発しつつある「大学」が,その実質においていかに変質し,深刻な困難に直面しているのかを問わなければならない。〔本書p.9〕

また今日的な目線で言うと,「大学とは何か」は「教養とは何か」を問うことに近いかもしれません。曰く,イマドキの新卒は教養がない。モーレツ社員で頑張ってきたお父さん,振り返ると教養がなかった――それを修養する場として,大学が(あたかも駆け込み寺のように!)崇められます。しかし著者はそうした「教養」観が大学の立ち位置を狭めていると指摘します。

…諸々の古典を身につけることは,国民的教養の土壌が提供する地平に向けて自己を成型していくことで,これこそ近代の大学が国民国家から要請されていたことだった。しかし私たちが今日直面しているのは,そのような「大学の理念」の限界,近代的大学のリベラルな知が,複雑に巨大化した専門知の氾濫のなかで「古典」という以上の価値を見出されなくなってしまった状況である。 このような状況で必要なのは,「古典」や「教養」を復活させるのではない仕方でリベラルな知を追求していくことであるように私には思われる。専門知と対立し,それと隔絶する次元にリベラルアーツを「復興」するのではなく,高度に細分化され,総合的な見通しを失った専門知を結び合わせ,それらに新たな認識の地平を与えることで相対化する,新しいタイプのリベラルアーツへの想像力が必要なのだ。〔本書p.19,傍線引用者〕

ここで浮かび上がるのは,象牙の塔というより時勢に取り残された大学の姿であるように思われます。

Building N°1 on the University of Tokyo's Koma...

Building N°1 on the University of Tokyo’s Komaba campus in Megoro-ku (Photo credit: Wikipedia)

では,開かれた知識の場としての大学のルーツをどこに求めるか。著者はここで新聞や出版のアクティビティに注目します。印象的なエピソードを挙げるならば,日本では,天皇の眼差しにより統合化された「帝国大学」に対抗する私塾と自由民権運動,その言論を支えた新聞・出版のネットワーク〔本書pp.159-160〕。19世紀末のヨーロッパでは,大学と出版の近接化――大学教授を「著者」として抱え込み,学生を読者とした,書店街(著者‐読者コミュニティ)の形成〔本書p.246,括弧内は引用者の補足〕。

著者の吉見氏は本書執筆後の現在(2013年5月),東京大学副学長として大学行政の中枢にあります。これまで教育史の分野で積み上げられてきた「「大学」という領域へのメディア論的な介入の試み」〔本書p.258〕を本書で果たしたことは,意義深いものです。ただし危ぶまれるのは,ここで対象とされる「知」がインターネットの興隆を契機にして「情報」へと断片化しつつある状況です。肥大するサイバー空間(cyberspace)とそこに知が流出する状況下で,かつてのようなアクティビティをもって大学は再生できるのか。

おそらくはページの制約で深く論究されていませんが,ここに大学と出版の切り結ぶ今日的課題があるように思います。大学の発信する学術情報の電子化は,図書館により盛んに主導されていますが,英語圏の議論を垣間見ると,「可視性」(visibility)や「見つけやすさ」(discoverability)という言葉を目にします。逆に言えばそれだけ,専門知は同業研究者にも「見えにくく」「見つけにくい」ものになっているということです。出版者にも図書館にも,それらを結び合わせる知的インフラの整備が求められるのでしょう。 また単にインフラ待ちでなく,読者の側にも〈ネットワーク化した知〉を相対化するリテラシー(新しい情報学)を主体的に求める意識が必要なのかもしれません。文字に起こすと小難しそうですが,日々目にするインターネットの情報に右往左往せず,何が正しく妥当なのかを選り分ける,そうした日々の心がけからでも充分始められる試みです。

今回のレビューでは割愛しましたが,本書は薄手ながら,ドイツ・アメリカ・日本の大学史や社会情勢をコンパクトに押さえており,高等教育のトレンドを歴史的にみる際の必読書と思われます。ただ教育がらみの論点は,ほとんどが先行研究の引用と要約によってカバーされており,著者のオリジナリティはやはりメディア論でこそ発揮されるのでしょう。

もう一つ,終章で言及されるにとどまりましたが,今日の大学を取り巻く情勢で見逃せないポイントに「大学院重点化」といわゆる「若手研究者問題」があります。ただ,これはきわめてセンシティブな問題でもあり,機を改めて記したいと思います。

◎吉見俊哉(2011)『大学とは何か』岩波新書. http://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/sin_kkn/kkn1107/sin_k600.html

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1件のコメント

  1. […] ブログを開始して以後、(1)・(2)にわたって「大学とは何か」をじっくり考えてきましたが,そろそろ一区切りにしたいと思います。連載の最後として、第三の役割、社会への発信・還元という切り口から考えてみたいと思います。お話しのエッセンスは先週の記事に英語でも公開しています。 […]

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